【言葉の闘いを放棄した日本】なぜフランス人は愛想笑いをしないのか?なぜ日本では世間向けの意見しか言えないのか?

その答えは、すべて『わたしの嫌いな10の言葉』に書いてありました。

『私の嫌いな10の言葉』からフランスと日本社会を知るためのタイトル

1:なぜフランス人は愛想笑いをしないのか

フランス人まじ愛想笑いしません。

つなぎ
そこは笑えよ

って思っても笑わない。

ぎゃくに日本帰ってきたら日本人のにやにや笑いがとても気になる・・・

その原因は

『私の嫌いな10の言葉』に書かれてました。

ジャパニーズ・スマイル(日本人のほほえみ)の礎石には、他人には笑われないようにする親の教育という涙ぐましい魂胆があったのです。

この国ではたしかに笑いはずっしりした自己防衛のよろいなのだなあと痛感します。

もう一つ日本人の笑いには大きな機能があるような気がします。

それは、その場の雰囲気を和らげるという機能ですが、これはちょっと見方を変えると、その場の雰囲気をごまかすという意味になる。

真剣に対立する場を作り出したいのに、にこにこ顔で「まあまあ」と言ってその対立を和らげるというよりごまかすのです。

だから、私はむやみに愛想がいい人が嫌いです。

彼らは、それによって本能的に言葉による正確な対立を避けようとしている…

チョー同意します。

フランス人は、マナーとしての笑顔を持っています。

だけど日本人のようなごまかしの笑顔は持ってない。

フランス人が笑うときは「笑いたいから笑う」

それしか意味はありません。

ただ日本人が笑うときは「相手に怒らないでね。わたしが笑ってあげてるのだから」という圧がかかっています。

そこで防衛線を張ってます。

対立軸をあいまいにしてるんです。

フランス人は人によって笑う笑わないの差が激しい。

笑わないフランス人は性悪率たかい)

対して日本人はみな一様に笑います。

それは日本人は笑って言葉の争いを極力避けるため

フランス人は目をダース・モールのようにかっ開いて闘おうとします。

でも本気でケンカしたいわけではない。

本気であいてがキライなわけではない。

ほんとにキライな人とはフランスでは話しません

目も合わせません。

同じ空間にいることさえいやがる。

その場の空間を感じ取り大事にする日本人。
その感覚のないフランス人。

笑いに込められた意味合いの違いにはそんな差異があります。

2:なぜ日本では世間向けの意見しか言えないのか?

中国や北朝鮮のような言論統制のある国はおいといて。

なぜ自由のある日本で意見を言えないのか。

それは意見をぶつけあう文化がないからです。

当たり障りのないことしか言えない。

ここも『私の嫌いな10の言葉』にヒントが書いてありました!!!

在日10年アメリカ人女性のおはなし。

この国ではみんなすぐに謝る。

みずからの非を認めているから謝るのではなく、謝ることそのことが社会的に要求されているから、

つまり得だから謝る。

逆に言うと、謝らずにいると、いかに自分が正しいとしても社会的に損だから謝るのです

日本人と結婚したアメリカ女性が在日一〇年して日本語にも日本の風俗習慣にもなんの問題もないほどに日本に溶け込んだ。

ただし、一点を除いて。

それは、とっさのときに「すみません」と謝ること。

欧米人と結婚した日本人が、とっさの場合に(これが大事です)相手に非がないとわかっていても、自分を守るために「あんたが悪い!」と相手を怒鳴りつけること、

そして相手から非難されても眉一つ動かさずに「私はまったく悪くない」と言うこと、

これはたぶんなかなかできないことでしょう。

この国においては、たとえ身に覚えのないことで非難されていても、

弁解しないで潔くわが身に引き受け、あとで濡れ衣だと判明したとき、その行為は美談としてもてはやされる。

これは、自分の胸に問いかけて潔癖であれば、何と言われようといつかは世間がわかってくれ、報われるだろうというオプティミズムにもつながるたいそう功利的な態度です。

こうした得を承知のうえで、あえて提案したいのですが、

私はとくにこの国においては各人の自己防衛をもっと尊重しなければならないと思うのです。

そのためには相当汚い嘘をつく必要もあるでしょう。しかし、そうでなければみずからを守れないときもある。

弁解しつづけなければ生きることができないこともある。

そういう場合、その人は巧みな言葉を駆使して相手をだます技術を開発すべきでしょう。

容易に見破られるような偽りの弁解はその人の自己防衛能力が足りないこと、

つまり自己防衛に関して真剣さが足りないということ。

だから、そういう人に同情はいらない

人間とは他人をだますものであり、自己利益を追求するときにはたえまなく嘘をつくもの。それがごく自然であることを認めること。

わが国では言葉に関しては、「他人とわかり合う」という面ばかりが強調される。

しかし、言葉を使って相手を攻撃しわが身を守ることはたいそう重要なことであり、その重要な方法として「弁解」があります。

日本人がなぜ謝り、欧米人がなぜ相手に責任を押し付けるのか。

それは日本では謝ることで得をし、欧米では非難することで得をするからです。

日本の美徳はじつは美徳ではないのかもしれません。

3:『ウィーンの交通機関』の例はフランスやフランス人と関わるなら必読

著者は『ウィーンの交通機関』の例から『自己防衛としての弁解』の必要性も語っています。

フランスやフランス人と関わるならゼッタイ知っておいたほうがいい。

フランスの交通機関もウィーンの交通機関と似てます。

改札は無く機械に乗車券を通すだけなんですよ。(パリ地下鉄は例外)

その代わり監視員がときどき乗ってきて乗車券をチェックする。

無賃乗車もたくさんいます。

そのときに驚くのが乗客の言い訳。

出てくるわ出てくるわ。

口から次から次へと。

しかも日本だったらゴミと言われかれないクオリティの言い訳。

フランス人は言い訳に命をかけてます。

でもそれも日本人が放棄した『自己防衛・弁解の文化』なんです。

わが国では言葉に関しては、「他人とわかり合う」という面ばかりが強調される。

しかし、言葉を使って相手を攻撃しわが身を守ることはたいそう重要なことであり、その重要な方法として「弁解」があります。

説明が必要でしょう。

個人語を潰しつづける日本社会において、個人語を話そうとするとたいへん密度の高い言語抑圧空間を打ち破らねばならない。

それはたいそう気力や体力のいることなので、畢竟必要以上に力を入れざるをえず、

ふと気がついてみるといつしか「力」が「暴力」に変身しており、われながら恐ろしいほど闘争的になっている。

被害妄想の者が、不安のあまり、

そして被害の実態を誰も認めてくれないために、むやみやたらと闘争的になるようなものです。

わたしもオルレアンからボルドーに帰るとき無賃乗車の中学生3人組に遭遇しました。

監視員がたまたま尋ねてきたときの彼らの弁解は日本では考えられないものでした。

でもそれがフランスの強み(欧米の強み)です。

弁解という自己防衛を放棄してしまったところに日本の弱点があります。

4:『日本のかけ声文化』『型にはめる文化』も必読

その後につづく『日本のかけ声文化』『型にはめる文化』も必読。

フランスでもっとも人気な武道である柔道も「型」が大切ですからね。

スポーツとは異なることをフランス人に説明する際に『日本の型文化』を紹介しなければなりません。

とにかく著作を呼んでみてください。

言葉を闘わせる大切さ、それを放棄した日本社会が浮き出ています。

もっと生きやすく

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