書評43 イザベラ・バードとブルーノ・タウトの本は、西欧人の視点を知れる良書。

つなぎです。

おひさしぶりです。(10ヶ月ぶり)

生活が忙しく、帰ってきてもブログを書く気力が湧かず、
長期間休んでました。

またちょくちょく書いていきますので
よろしくおねがいします。

1.イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871) おススメ度☆☆☆☆☆

イザベラ・バードの本は前から気になっていました。
欧米人がほとんどいなかった時代、開国直後の日本について率直な感想が述べられています。

昔の本を読むとき、よく「現代の価値観でとらえると、差別的表現ととれる箇所がありますが、ご了承ください」と注意書きがあります。

本著も同様です。

しかし、実際本を読んでみると、意外にそうでもないなと感じました。

というのも、イザベラ・バードは、日本の事情・価値観を十分に考慮したうえで、
「それもこれはおかしい」「ここは素直にすばらしい」と評価しているからです。

たとえば、以下の箇所。

上巻 pp..228
ヨーロッパの国の多くでは、まただぶんイギリスでもどこかの地方では、女性がたったひとりでよその国の服装をして旅すれば、危険な目に遭うとまではいかなくとも、無礼に扱われたり、侮辱されたり、値段をふっかけられたりするでしょう。

でもここ(日本)ではただのの一度として無作法な扱いを受けたことも、法外な値段をふっかかれたこともないのです。

それに野次馬が集まったとしても、無作法ではありません。

ほかにも・・・

上巻 pp441
わたしは日本の子供たちが大好きです。

赤ちゃんの泣き声はまだ一度も耳にしたことがありませんし、うるさい子供や聞き分けのない子供はひとりも見たことがありません。

子供の孝行心は日本の美徳の筆頭で、無条件服従は何世紀もつづいてきた習慣なのです。

英国の母親たちのやる、脅したりおだてたりして子供たちにいやいや言うことを聞かせる方法は、ここにはないようです。

ヨーロッパと比較して、日本は(女性が出歩くさいに)安全だと言っていたり、
日本の子供たちのふるまいと日本の親のしつけに関して、賞賛しています。

日本やアイヌについて、とても批判している、差別的と見える部分もありますが、
全体的に読みやすく、楽しめる本でした。

北海道についてですが、『日本の本州より、評価高くない?』って感じでした。
たとえば以下の箇所。

下 pp..28
蝦夷において、旅行者であるわたしは本州で嗅ぎ取ったよりも自由な雰囲気があるのに気づいた。

空気が本州より自由に循環しているばかりでなく、人も獣も手足を伸ばせる空間をたっぷり有しているのである。

pp29
苫小牧ー襟裳(えりも)岬間の太平洋があげる長く悲しげな音、内浦湾付近の荘厳なわびしさ、蝦夷の暮らしの軽やかさと自由。

わたしが心を奪われたこういったものは、わたしの蝦夷の思い出をある面で日本で得た最も楽しい思い出にしてくれているのである。

ほかの町では、早く出発したいと言っていたイザベラ・バードが、函館では、1日滞在を延ばしたり、
北海道にはいい思い出がたくさんあったそうです。

ときおり見せる、日本に対する猛烈な批判はツンとくるものがあります。

pp.372
破綻した宗教の虚構に基づいて創建された天皇の玉座、

ばかにする人々から見せかけの敬意を受けている国教、知識階級のあいだで猛威をふるう無神論、下層階級にいばり散らす無知な聖職者、

頂点にはみごとな独裁支配を、底辺には裸の労働者を持つ帝国、最も崇高な信条は露骨な物質主義であり、その目的は物質的な幸福です。

天皇制度、神道、無神論、神主さん、日本の政治、裸同然のかっこうをした一般人、近代化に走る日本の世論、すべてに批判的です。(そうとういやなことがあったのでしょう)

とくにそれに続く下の一文が痛烈です。

pp372
キリスト教文明の成果を改善し、破壊し、建設し、横取りしています。

しかしその果実を生んだ樹木はいらないと拒むーこのような対比と矛盾がどこへ行ってもあるのです!

ヨーロッパの技術だけを学んで、その技術を生んだヨーロッパ社会や宗教(=キリスト教)について学ばない日本(人)を批判しています。

イザベラ・バードは、訪れた町で、日本人にキリスト教について聞くのですが、
みんな決まって無関心なので、彼女はイライラしていました。

そもそも、宗教に関心のない日本人、関心があってもうわべだけの日本人に、歯がゆい思いをもっているのが伝わってきました。

100年以上前から、あまり宗教に関心のない国民だったそうです…。

いまの日本と似ているところがたくさんあるので面白いです。
とくに、日本人の考え方、主張に共感するところがけっこうあります。

生活水準がとても低かったこともひしひしと伝わってきます。

2.忘れられた日本 (中公文庫)おススメ度☆☆☆☆☆

ブルーノ タウトという1933年に日本に来た建築家のドイツ人の本です。

まず、目に入ってくるのは、神道についての深い考察。

pp..40
伊勢神宮は、(中略)いわば日本のアクロポリスである、-だがアクロポリスのような廃墟ではない。

(伊勢)神宮は二十一年目毎に見事な材料を用いてまったく新たに造替せられる、

しかもその形式はばくとして来歴をつまびらかにせぬ太古のままである。

pp.72
ユダヤ・キリスト教文明の伝統上にある「人間の本質」(人間性)は、「神」の支配を受けつつある人間が、努力して必死に到達すべき(しかし永遠に到達できない)目標のように考えられている。

一方で、日本における「人間性」の理念は、少し違っているのではないか。

仏教や神道の感覚からすれば、「人間性」は「到達すべきもの」ではなく、すでにして「在る」(自然)ものである。それは「つくられる」(作為)ものではない。

こういう感性は、西欧由来の近代的理念とは、適合しにくいように考えられる。この点に、日本の近代観の独自性がある。

pp.104
確かに神道の『理念』は極めて『原始的』である。
それは人間及び人間の秩序と、自然及びもろもろの自然力との融合にほかならない。

日本文化・建築の重要性を述べています。しかも世界レベルで大切であると。

pp.124
日本という重要な文化国がその創造力を恢復(かいふく)しうるか、それとも永久にこれを失ってしまうかという問題の解決は、とりも直さず全世界に対する得失を意味するからである。

pp.139
日本精神の最高の建築的創造が伊勢神宮と京都の桂離宮とであることは、まったく疑いをさし挟む余地のない事実である。日本はこの両者において、国際的意義をもつ卓抜な建築を創造した。

日本建築と、神道について戦前のドイツ人建築家がどう思っていたか知るのには、最適な1冊です。

3.自分の仕事をつくる (ちくま文庫) おススメ度☆☆☆☆☆

会社に通って給与をもらう。
その繰り返しの毎日から一歩外れて、そもそも仕事とはなにか。

について説明しています。

気になった箇所はここ。

pp.269
会社以外の場で仕事を自給自足する力を持ち合わせていれば、会社が望もうが望むまいが、フェアな関係を築くことは出切る。

逆にいえば、これまでの企業は従業員が会社とフェアな関係を築けるほどの力を持つことを、望んではいなかったではないか。

今の時代は、「個人の時代」と言われます。
戦後70年続いた、「24時間365日、1つの会社で正社員として朝から晩まで拘束されて働く」のではなく、会社に属さず、個人で働き生活することが可能になった時代です。

この本の主旨とは外れますが、著者が言うとおり、仕事を自給自足できれば、会社から逃げることも容易ですよね。

当たり前のことですが、言語化できてなかったので、はっとさせられました。

以上です。

もっと生きやすく。

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