つなぎのプロフィール(長文)

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こんにちは。

「つなぎ」 と申します。

ちょっと長いプロフィールを書きました。

目次

1:生い立ち

出身は、東京都昭島市です。

大学進学まで19年間住んでました。

昭島市は、東京都心から西に40㎞ほどにある人口約10万人の町です。

名物は・・・ないのですが、

市内全域、水道水が地下水100%であること、

箱根駅伝の予選会が毎年開催される昭和記念公園や、

本州最大のアメリカ空軍基地の横田基地があることが

特徴です。

小学校~高校時代は、サッカーとピアノをやってました。

①:小学校時代

小学校では、サッカー・ピアノ・マーチングバンド・英語教室・水泳教室に行ってました。

習いごとっ子ですね。

コンプレックスは、太っていたことです。

小学校4年生で、40㎏ありました。

太っていたことで、いじめられてました。

②:中学校時代

中学校は、地元で有名な不良校でした。

私の学年は、例年にもまして、不良が多く、

学校生活で生き残る選択肢は、いじめる側にまわるか、いじめられることを受け入れるか2つしかありませんでした。

毎週校内のガラスが割られ、毎週緊急集会が開かれる。

在校生か外部の人がやったのかわかりませんが、

一時期何十枚もの窓ガラスが割られ、ついに中学校側も修繕費が底をついてしまったので、

ダンボールで応急処理し、2~3か月過ごすクラスもありました。(隣のクラスでした)

授業は、生徒の妨害行為が多発し、中断してばかりで先に進まず、教科書が終わらない。

5分休み時間は、いじめタイム。

授業開始の5分は、教科担当の先生が、いじめ現場を止めることからスタートする。

不登校になる生徒多数。精神的に追い込まれる先生方も続出しました…。

人の尊厳をどれだけ捨てられたかで、校内の地位(不良達の中でのランク)が決まっていました。

見るからに気の弱そうな生徒、優しそうな生徒は、不良達から集中攻撃を受けます。

私のいたサッカー部には、不良達がいたので、私もいじめられていました。

当時の私は、「このままではやばい、〇ぬ」っと思って、

なにかいじめられないために、1番になれるものを必死に探していました。

③:韓国遠征(転機1)

中学2年生の時、サッカーの中体連(※)東京都の代表選手として、
※中学校体育連盟の略

韓国に行きました。

この遠征の話が、同級生の中で広まり、

私に対するいじめがなくなりました。

韓国遠征が人生の転機でした。

文化の違いを肌で感じたことで、いつか将来大人になったら海外に行きたいなと思いました。

高校受験も、無事に、公立の第一志望校に合格。

中学校卒業時、なんでも頑張れば報われると信じてました。

④:大学受験失敗

高校では、サッカー部に入りました。

しかし、高校受験のストレスで10㎏太ってしまい、

身体がまったく動きませんでした。

不良が多くいた中学校と進学校である高校との環境の差にも苦しみ、統合失調症に近い症状が出て、

勉強もサッカーも十分にできない状態でした。

結果、サッカー部では、3年間補欠。

現役時代、私立大学を5つ(計11回)受験し、センター試験を1回受験しましたが、

私立大学はすべて不合格、センター試験は5教科5科目で64%という散々な結果でした。

※受験料だけで210000円飛びました。両親には合わせる顔がありませんでした。

当然、浪人するしかありませんでした。

そのとき、

・MARCH(明治大・青山大・立教大・中央大・法政大)は3ヶ月本気出せばいける説
・現役は最後伸びる説

というのはウソだと知りました。

というか

・MARCHに3か月本気出せばいける人は、1年あれば早慶引っかかるポテンシャルが元々ある説
・現役で最後伸びる人は、高校1~2年生の時からしっかり勉強している説

が真実でした。

頑張れば報われるというのも、言葉足らずだと思いました。

勝てる場所で、正しく研鑽を積むことで成功するのです。

勝てない場所で、ガムシャラに頑張っても、失敗するということを

高校時代の失敗から学びました。

というのも、高校時代に、またもや、太っていることを中傷されたんですよね。

中傷してきたのは、当時のサッカー部のレギュラーの選手や、クラスのリア充たち。

でも彼らは、華々しく高校生活を謳歌(恋愛・行事・部活を好き勝手楽しむ)し、

早稲田や慶應や有名国公立大に合格していきました。

彼らにあって、私にないものは、

勝てる場所で、研鑽を積むことです。

自分の得意なことで勝負をしてなかったから、

彼らに負けたのかと思います。

⑤:浪人後、逃げるようにして地方大学へ進学

浪人時代は、高校の同級生が大学でサークルや飲み会でウェイウェイしているのを

想像しながら、河合塾の自習室で、修行僧のごとく、勉強してました。

その結果なんとか、一浪で新潟大学に合格することができました。

地元の不良や、高校のリア充達に会いたくなかったので、

地方の新潟大学を選択しました。

⑥:フランスに交換留学(転機2)

大学では、ピアノサークルと地域活性化事業のお手伝いをしてました。

第二外国語でフランス語を始めました。

理由は、大学受験で世界史と倫理を勉強した際、フランスがかなり重要な国だったからです。

英語に苦手意識があったこともあって、フランス語を少しがんばりました。

フランス語の文法や本当に規則的で、理屈っぽい私ははまりました。

大学3年次の夏、2014年9月から1年間、

フランスのボルドー大学に交換留学制度を利用して行きました。

授業は基本的に、大学付属語学学校でのDEFLEで行われ、

生活面も含めて、とても勉強になりました。

ここで、感じたことが、ブログ開設のきっかけとなりました。

⑦:某機械(ポンプ)メーカに就職

大学卒業後は、某機械(ポンプ)メーカの営業マンとして働いてました。

機械(ポンプ)メーカといっても、ポンプを売るだけは終わりません。

私の客先は、都道府県や市町村でした。

公共事業として、ポンプとその周辺の設備の撤去・据付工事まで請け負っていたので、

役所との書類のやり取り、建設工事に関する業務全般を担当しました。

大企業や、建設工事だけを守備範囲とする建設会社であれば、

工事専門の従業員がいるのですが、私の会社は、ポンプ製造が事業の中心だったので、

工事をなりわいとする従業員がほとんどいませんでした。

必然的に、営業である私が、工事現場のコントロールをしなければなりませんでした。

当然、文系出身のわたしは、右も左も分かりませんでしたが、

なんとか3年間食らいつくことができました。

ここら辺については、これから記事にしていこうかなと思います。

2:現在 機械(ポンプ)メーカを退職し、2020年9月から渡仏予定

現在は、機械(ポンプ)メーカを退職し、渡仏に向けて準備しています。

コロナウイルスの影響の懸念されますが、

渡仏手続きについても今後少しずつ記事にできればと思ってます。

3:将来 フランスと日本を繋ぐ架け橋になりたい

フランスと日本って、お互い何も知らないんですよね。

小学校6年間・中学校3年間、同じクラスだったのに、一回も話したことない人とかいるじゃないですか。

なんかフランスと日本ってそんな関係だと思います。

存在は知ってるけど、いまいちよくわからないやつみたいな。

そんな中で、日本について変な噂を立てて、フランス国内で、

日本の評判を下げている人がいるんですよ。

それと、日本人男性について、とかく酷く言ってる人がいます。

逆に日本では、フランスは変なふうに美化されてます。

お花畑というか、「それどこのフランスですか?」ってかんじ。

こんな状況では、フランスと日本は、本当の意味で、相互理解できません。

まずは、お互いを知ること。

そのために、まずはフランスについて、

地味ながらも、コツコツ情報発信していければなっと思ってます。

フランスと日本を繋ぐ人になるという意味で、つなぎというペンネームを付けました。

そのつなぎが書いているフランスに関するブログだから、

このブログは、つなぎのフラログとしました。

渡仏後は、フランスと日本をつなぐ仕事(情報発信・観光関係)に就きたいと考えています。

将来は、日本の地方の子ども達が海外に行けるような制度を作りたいなと思ってます。

というのも、東京の私立学校に通う子ども達に比べて、

地方の子ども達は、海外の文化と接する機会が極端に少ないからです。

私が海外に関心を持てたのは、間違いなく中学2年生の時に、韓国に行ったからです。

地方の子ども達にも、そんな機械を提供できたらなと考えています。

日本社会とは異なる社会があることを知ってほしいなと切に思います。

以上です。

もっと生きやすく。